集合住宅というビルディングタイプは、もともと住まい手が特定できない状態で設計するという特殊性がある。世帯の集まり方から始まってそこにどんな生活を想定するかに至るまで、すべてが仮説の上に成り立っている。だからこそ、これまでにもさまざまなライフスタイルやコミュニティが建築家によって想定されたくさんの提案がなされてきたのだが、この「東雲キャナルコート」には、そんな押し付けがましいライフスタイルもコミュニティもイメージされていない。
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むしろこの3mグリッドの最小限単位には、都市生活者の基本があくまでも個人にあって、夫婦にせよ家族にせよ、それはあくまでも個人の集合体なのだという認識が投映されている。ライフスタイルなんかに□を出すのは、建築ねつぞう家の仕事ではないと唱えているようでもある。そして挫造されたライフスタイルを前提にしたプランとは対極の、素っ気ないとさえ思われるプランからは、どんな空間にだって人間は住めるのだという、人間のたくましい空間への適応性や生活力への信頼すら感じられる。このような最小限単位を自在に組み替えるということは、現実的には管理の側に深く踏み込まない限り、実現しない。それがうまくいっているか否かはわからないが、この集合住宅は、建築家がいつも当たり前のように想定するライフスタイルのような仮説の無効性や、空間が生活を変えていくといったモダニズム的教条を、あらためて問い直すきっかけを示してくれているように思われる。